オマージュとパクリは全然違う。判定基準とパロディとの関係
オマージュ、パクリ、という概念があります。この二つはとても似ており、しばしば違いについて論争が起こります。完全に混同している人も沢山います。
でも、じつは明確な違いがあるのです。
この論争については、いつも受け手(読者、視聴者)の立場からしか語られないので作者側の心理も交えて解説してみたいと思います。
ということで、まずはわかりやすいパクリから見てみましょう。
※ちなみにここでの話は、音楽、映画、漫画、小説等あらゆる作品を対象にしています。これら作品が人に感動を与える要素は、美しさや、技術力、面白さ(笑えるという意味の)、興味深さ、爽快感など様々ですが、ここでは一律「面白さ」という言い方でまとめまときますね。
パクリとパクリの罪
パクリとは何でしょうか。一言で言うと
他の作品(元ネタ)の要素を取り入れて、自分の作品の要素としてしまうこと
です。ストーリー、画、構図、セリフ、キャラクター、演出、フレーズなど、あらゆる作品の要素がパクリの対象になります。
そして、その行為によって「元ネタの面白さ」を作品に取り込もうとすることです。
元ネタの作者が必死に考え、創造した「面白さ」の要素を、安易に真似して取り込んでしまうので、非難されるのです。
ここで、作る側のことを考えてみましょう。
元ネタ作者は、そのネタを作るためにどれだけの代償を払っているのでしょうか。普通、クリエイターは(素人であれプロであれ)若いころからアイデアを考えたり、作品に落とし込んだり、悩んだりするわけです。そういった何年もの(何十年もの)積み重ねの上で、ある時ようやく何かが出来上がってきます。
それを作品として具体化する「作業」は、積み上げの時間に比べれば大したことはありません。何年という単位に対して、数分や数時間、数日程度で済んでしまったりします。(もちろん一部の天才ちは時間を掛けずに、以上のことができてしまったりしますが)
このような莫大な労力の上でできた面白さを、そのまま取り入れてしまうのは、一生懸命稼いだ大金を盗まれるのと同じです。
だからパクリはダメなのです。
オマージュとパクリとの境界
次にオマージュを、パクリとの比較で見てみましょう。
オマージュとは
元ネタの要素を取り入れて、自分の作品の要素としてしまうこと
です。あれ? パクリと同じじゃん? そう、現象としては、パクリとオマージュは同じなのです!
では、何が違うのでしょうか。
パクリとオマージュの違いは、リスペクトの違いなの?
とよく言われます。元ネタを、その作者を尊敬しているかどうかの違いだということです。
これは本当でしょうか?
作者側に立って考えてみましょう。
作者は、作者である以前に読者、視聴者です。普通の人と同じように、色々な作品を楽しみます(もしくは楽しんできています)。作品を見たり聞いたりして面白いと思うのは普通の人と同じです。
でも、その先は作る人と作らない人で違います。作者は「受け手に同じ感動を伝えたい」と思います。そして「この面白さを越える何かを生み出したい」と思ったり、「この面白さを作品に取り入れたい」と思うのです。それ自体はごく自然なことで、創作の原動力でもあるし、原点でもあります。
そう考えると、本当に悪意があってパクる(自分の作品の人気が落ち込んでおり苦肉の策でやってしまうとか、人気作品からパクってやれ!とか会社の指示でパクるとか)とき以外は、実はリスペクトがあると思うのです。面白い、と思うということは、その元ネタを認めているわけで、ある意味リスペクトです。
だから、オマージュとパクリの本当の違いはリスペクトではないのです。
オマージュとパクリの判定基準
2つの違いは実は明確です。
受け手が「元ネタを知っている前提」なのかそうでないのか
の違いなのです。
パクリは罪深いものです。ですから、パクっている人は元ネタを知られたらまずいのです。あたかも自分が創造したかのように元ネタの面白さを受け手に提供しているのですから、それが盗んだものであると知られたら困るのです。だから一度パクリが判明してしまうと、あっという間に炎上してしまいます。
これに対して、オマージュは元ネタを知られていても問題ない、むしろ知っていてほしい、という点で全く異なるのです。
オマージュは、元ネタを面白いと思う人たちに対して「俺、これ好きなんだ、君もきっと好きだよね?」と訴える遊びなのです。
ちなみにパロディとは
ちなみに、オマージュのなかで、笑いに特化したものがパロディです。
作品世界の話ではありませんが、わかりやすいパロディの中に「ものまね」があります。芸人さんがタレントのものまねをしているのを思い出してみてください。ものまねは、受け手が元ネタを知っているから面白いのです。
オマージュも基本構造は同じだと考えると、わかりやすいと思います。
(余談ですが、パロディにリスペクトはあるのでしょうか。ディスっているように見えるものもありますが、世の中的に影響力のある元ネタを取り入れるので、影響力があるという点についてはリスペクトしていると考えられます。なので、ある、というのが答えです。)
ちなみに、オマージュの場合でも、元ネタがわからなくても面白い、というのが理想の姿です。元ネタがわからないと理解できない作品は、対象者を絞ってしまうため、マニアックな作品だと判断されがちです。それを狙う場合はいいのですが、より多くの人が楽しめるという意味では、わからなくても面白いし、わかると100倍面白いのが一番ですね。
まとめ
以上、オマージュとパクリについて、すっきりと理解していただけたのではないでしょうか。
もう少し理解を深めるために、作者の心境も考えてみましょう。
パクリもオマージュも、元ネタを自分の作品に取り入れる点では同じですが、元ネタをオマージュする作者には罪悪感がありません。しかし、パクリの作者は多かれ少なかれ罪悪感があるでしょう(良心があればですが笑)
このように考えると、境界線がよりはっきりしてきますね。
ただ、難しいのは、この二つは非常に近しい物ですので、作り手側からすると「オマージュのつもりで作ったのに、パクリと言われてしまう」場合があることです。
ということで、次は、パクリと言われないオマージュの方法について考えてみたいと思います。